僕らの理想郷 -ハヤト編-
放課後の学校。静かな廊下に、鈴の音が響くような心地よい静けさが漂っている。教室から次々と生徒たちが出て行き、誰もいない時間が少しずつ広がっていく。隼士はいつも通り、ぼんやりと放課後の時間を過ごしていた。
いつものように、ふとした瞬間に涼の声が響く。
「隼士、リバースポーカーをやろう。」
隼士はその声に驚き、思わず振り向くと、そこには涼が立っていた。涼は何も気にせず、まるで普通の会話をするかのように話しかけてくる。隼士は胸の奥で何かが弾けるような感覚を覚えたが、表情には出さずに、少し照れながら答える。
「リバースポーカー?…それは、どういうゲームなんだい?」
涼は微笑みながら、その目を少し細めた。隼士は涼の目を避けるように、視線を下に落とし、気まずさを感じたが、涼の声がまた耳に届く。
「弱い手札が勝ち、強い手札が負けるポーカーだよ。普通のポーカーは知ってる?ワンペアよりツーペア、ツーペアよりスリーカードが強いってやつ。リバースポーカーは、その逆のゲームだよ。」
隼士は涼の説明をじっと聞いていた。
「このポーカーは52枚のトランプデッキを使用するよ。リバースという名の通り、手札の強さが最も低いプレイヤーが勝利する。
まず初めに5枚の手札を配るよ。
その後はチェンジフェーズ。チェンジフェーズでは、最大5枚の手札を山札からチェンジをすることが出来るよ。但しチェンジが出来るのは一回だけ。
お互いチェンジが完了したらベットフェーズ。このフェーズでは、チップを追加するか降りるかを選択できるよ。
チップの宣言が出そろったら手札開示。ノーペアに近い方が勝利となるよ。
役の強(弱い順 → 強い順)
ロイヤルフラッシュ 例: A, K, Q, J, 10 すべてが同じスート。
ストレートフラッシュ(最も弱い) 例: 5, 6, 7, 8, 9 すべてが同じスート。
フォーカード 例: 4枚の同じランクのカード。例: A, A, A, A。
フルハウス 例: 3枚の同じランクのカードと2枚の同じランクのカード。例: A, A, A, K, K。
フラッシュ 例: 5枚の同じスートのカード。例: 2, 4, 6, 8, 10 全てがスペード。
ストレート 例: 5枚の連続したランクのカード(スートは異なる)。例: 3, 4, 5, 6, 7。
スリーカード 例: 3枚の同じランクのカード。例: K, K, K。
ツーペア 例: 2枚の同じランクのカードが2組。例: 9, 9, 5, 5。
ワンペア 例: 2枚の同じランクのカード。例: 8, 8。
ノーペア(最も強い) 例: 何の役もない、単なる5枚のカード。例: 2, 5, 7, 9, J の異なるスート。
」
「へぇ~面白いポーカーなんだね。」 「でもこのままだとみんながノーペアを目指すよね。それだと面白くない。だからルールを追加するよ。
ノーペアで勝利した場合、次のターンではツーペア以上の役を作らなければならない。フォールドを宣言することも出来ないよ。役を作れなかった場合はそのターンは強制的に敗北。
そしてもう一つ。
ロイヤルフラッシュを完成させた場合は、他プレイヤーがどんな手札であろうとも勝利する。その場合、負けたプレイヤーはベットしたチップの2倍支払わなければならないよ。元々最強の役には、どれだけ頑張っても勝てないのは、この世の理だよね。」
「これは、あ、天城君が考えたの?」 「そうだよ。どう?やってみる?」 涼の問いかけに隼人は少し考えこみ、やがて口を開いた。
「うん、やってみる。」
涼は嬉しそうに笑い、カードを取り出して準備を始めた。隼士はその笑顔に、また少し胸が高鳴る。涼の一挙手一投足に、どうしても目が行ってしまう自分が、なんだか恥ずかしくて、でも嬉しくて仕方がない。
二人は学校の敷地内にある、あまり人の通らない裏の校舎の階段に座り込んだ。放課後の時間帯、校舎はすでに人が少なく、空気はひんやりとしていた。
「じゃあ、始めるよ。因みになんだけど、チップはないので役が全ての勝敗になるよ。三回勝負で。」
涼が軽くカードをシャッフルしながら言った。
隼士は少し緊張したような顔でカードを受け取ると、手の中でそれを確かめるように握りしめた。涼もまた、ゲームに集中し始めている。隼士は目の前の涼にどうしても気が散り、カードを持つ手が少し不安定になる。
「勝ったら…何か一つ願いを叶えてあげるよ。」
涼がぽつりと呟いた。
隼士はその言葉に驚く。
「願い?どういう意味だい?」
涼はまた楽しげに微笑んだ。
「別に大したことじゃないけど。なんでも言ってみなよ。」
隼士はその時、涼がどこか真剣な眼差しをしていることに気づいた。普段の軽いノリとは違って、涼の眼差しがどこか本気を感じさせている。
それに気づいた隼士は、少し照れながら答える。
「じゃあ…僕、勝つよ。」
涼は軽く笑い、自身のカードを見る。ゲームは始まったが、隼士は少し緊張していた。勝ちたい、でもその後の涼との時間がどうなるのか、その想像が頭を巡る。夕日の光が窓から差し込み、二人の影を長く伸ばしている。
「さっきのルールを聞いた限りだと、今回の勝負はノーペアで勝てるけど、次のターンでツーペア以上の役を作らないといけなくなっちゃうから……」
隼士は頭の中で次の一手を思案していた。冷静を装ってはいるが、心臓は高鳴り、カードを握る手が少し汗ばんでいた。
「じゃあ、チェンジフェーズ。隼士、手札交換する?」
涼の問いかけに、隼士はハッとして涼の顔を見上げた。彼の声は穏やかでありながら、何か意図を含んでいるようにも感じた。
「じゃ、じゃあ…3枚交換するよ。」
隼士が慎重に手札を選び、交換するカードを差し出す。涼は無言でカードを受け取り、静かに新しいカードを配った。隼士の手元に来たカードはダイヤの4、ハートの7、そしてハートの4だった。
「やった!ワンペアだ!」
思わず声が漏れ、心の中で小さくガッツポーズをする隼士。しかし、次の瞬間、涼の様子が気になり目をやった。
涼は相変わらず冷静で、毅然とした表情を崩さない。
「チェンジはしない。」
その言葉に隼士は眉をひそめた。涼の意図が全く読めない。
「それは…どんな顔なんだい…?僕には…全く分からない……」
隼士の声は緊張で少し震えていた。彼の視線は、涼の微かな笑みに吸い寄せられるように止まる。
「じゃあ、ショーダウン!」
涼が宣言し、カードを隼士に見えるように広げた。涼の手札は、なんとノーペアだった。
「ノーペアだよ。この回は勝っておこうと思ってね~」
涼は自信に満ちた笑顔を隼士に向ける。隼士は驚きで目を見開いた。勝てると思っていたこのターンで、まさかの結果に心が揺れる。
「天城君…ノーペア!?僕、てっきり……」
隼士はその場の静寂と自分の鼓動の音に包まれながら、涼の言葉の意味を噛みしめていた。どこか涼しげで、すべてを見透かしたような涼の微笑が、隼士の胸の奥にじわりと広がる。
「じゃあ2ターン目。」
涼はカードを集め、軽快にシャッフルをする。
カードを配られた隼士は、慎重に手札を確認した。視線を下ろした手元にはノーペアのカードが並んでいる。
「…天城君がノーペアで勝負したなら僕だって…!」
隼士は心の中で自らを奮い立たせた。涼の手元をちらりと見た後、顔を上げると目が合った。涼は穏やかに微笑み、まるで隼士の心の内を見透かしているようだった。
「そんな真剣な表情で見ないでよ、隼士。」
涼の言葉に隼士は思わず顔を赤くし、視線を逸らした。
「ご、ごめん。」
微かな沈黙が流れた後、涼は問いかける。
「チェンジする?」
隼士は少し息を整えてから答えた。
「僕はしない。」
涼は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに微笑を浮かべて頷いた。
「そう。」
「天城君は?」
「そうだね~…」
涼はカードを見つめながら少し考え込む仕草を見せた。そして、ふと決心がついたように顔を上げ、にやりと笑った。
「全部チェンジで。」
その言葉に隼士の目が大きく見開かれた。
「ぜ、全部チェンジって…」
驚きと疑念が隼士の胸に渦巻く中、涼は悠然と手札を捨て、新たな5枚を引き直した。その仕草は何事にも動じない彼の性格を如実に表していた。隼士は涼の自信に満ちた態度に、再び心臓が早鐘を打つ。
「これは遊びだよ?運任せでも良いじゃない。その方が、楽しいじゃん?」
涼の声は穏やかで、余裕すら感じさせる。その余裕が隼士の胸に複雑な感情を呼び起こした。憧れ、緊張、そして挑戦心。
「じゃあ、ショーダウンしよっか。」
隼士は一瞬躊躇った後、大きな声を上げて涼を止めた。
「ちょっと待って!」
不意を突かれた涼が軽く眉を上げた。静けさが二人の間に流れる中、隼士は震える手でカードを握りしめ、言葉を絞り出すように言った。
「ぼ、僕も…」
その言葉とともに隼士は手札を全て交換した。心の中では不安と期待が交錯していたが、それでも自分を信じた。
「へぇ~、思い切りが良いね。君にそんな胆力があるなんてさ。」
涼は興味深げに目を細め、軽く笑った。
「…僕は勝つ!天城君に勝たないと…!」
隼士の声には決意がこもっていた。涼はその気迫に少し感心したように頷き、カードを並べ直した。
「じゃあ気を取り直して…ショーダウン!」
涼がカードを開くと、その手札はノーペアだった。隼士は鼓動がさらに速くなるのを感じながら、自分の手札を開示した。そこにはワンペアが揃っていた。
「運が良いね、隼士。」
涼は穏やかな笑みを浮かべながら冷静に隼士の顔を見つめた。
「へへ。最初はノーペアで勝負しようと思ってたんだけど、全部交換したことで分からなくなっちゃった。でも、結果的に良かったのかな?…天城君に、勝てたから。」
「おめでとう。ツーペア以上揃えるのって意外と難しいんだよね~。」
「これで、一勝ずつだね。次で勝敗が決まるんだね。」
「そうだよ。気を引き締めてね。じゃないと君、負けたらどんなお願いされるか分からないよ~。」
涼はにやにやしながら隼士に言い、その瞳には遊び心と何か含みのある輝きが宿っていた。
「じゃあラスト!最後は…隼士がシャッフルしてよ。」
涼は隼士に集めたカードの束を渡す。
「僕が?」
その言葉に涼がコクリと小さく頷き、隼士は恐る恐るカードを受け取る。そうしてゆっくりとカードをシャッフルし始める。 その間、涼はハヤトに問いかける。
「隼士ってさ、どんな人を好きになるの?」
「え!?」
その質問に隼人は酷く動揺し、シャッフルしていた手が止まる。
「ぼ、ぼ…僕は……」
顔を赤く染め俯く隼士。
「あぁ…ごめん。そんなに考えこんじゃう?」
涼は隼士の反応を見て楽しそうに笑った。緊張の糸が一気に張り詰め、教室に独特の沈黙が漂う。放課後の薄暗い空間に二人だけの声が響き、カードの微かな音が消えてしまうほど静かだった。
「そんなこと急に聞かれても…」
隼士は心臓が早鐘のように打つのを感じながら、言葉を探した。これまで誰かに恋愛の話をしたことなんてほとんどなかったし、涼に対してもどう答えるべきか迷う。
「いや、ただ気になっただけだよ。」
涼は目を細めて微笑む。彼の顔にはいつものいたずらっぽい笑みが浮かんでいたが、その瞳の奥には何かを探るような鋭さが潜んでいた。
隼士は息を整え、再びカードを切る手を動かした。指先が微かに震えているのを涼に見透かされないように必死に隠したが、その動揺は隠しきれなかった。
「僕が好きになる人か…」
隼士はぼそりと呟きながら、自分の胸の内を探ろうとする。
ある程度シャッフルが終わり、隼士は5枚のカードを涼に渡した。緊張の糸が張り詰めた空間に、微かな紙の擦れる音が響く。その音が異様に大きく感じられるほど、隼士の胸は高鳴っていた。
手元のカードを確認すると、やはりノーペアだった。隼士は額に浮かぶ汗を感じながら内心でつぶやく。
「きっと…天城君もノーペアだ。もしそうなら引き分け。でも…」
彼は目の前に座る涼の顔を伺った。
涼は淡々とした表情で、カードを眺めている。瞳には一切の感情が浮かばず、何を考えているのかまったく読めなかった。隼士はこのゲームの目的さえもつかめないまま、不安に押しつぶされそうになっていた。
「……ダメだ、このままじゃ僕は天城君に勝てない…!」
その時、涼が突然口を開いた。
「ねぇ隼士、チェンジする?」
その声に隼士はハッとして顔を上げた。彼の声は柔らかく、意図がまるで掴めない。
「あぁ、えっと……。」
カードをじっと見つめた後、3枚を慎重に交換した。新しいカードを確認すると、ツーペアが完成していた。
「そんな…!」
隼士は思わず心の中で叫んだ。これでは勝つのは難しい。彼の焦燥感は、内臓を絞られるような痛みを伴っていた。
一方、涼は涼やかな微笑を浮かべながら、手際よくカードを交換していた。
「じゃあ、このカードとこのカードをチェンジしよっと!」
隼士は唇を噛みしめ、自分の敗北が迫っていることを感じていた。
「僕は…負けちゃうのか…?」
その瞬間、涼がふっと穏やかに言った。
「あ、そうだった!最後のターンはお互い手札を交換するんだった!」
「え?」
隼士の眉が驚きで跳ね上がった。そんなルール、聞いていなかった。
「いや~ごめんごめん、説明してなかったよね。最後のターンはお互い手札をチェンジするんだよね。」
「そ、そうなの?」
隼士は戸惑いながらも手札を束にして、涼に恐る恐る差し出した。涼も同じように、自分の手札をハヤトに渡す。
「じゃあ、ショーダウン!せーの!」
二人は同時にカードを開示した。隼士の手札には、ハートのロイヤルフラッシュが揃っていた。目を疑う光景だった。対する涼の手札はツーペアである。
「嘘!」
隼士は声を漏らしてしまった。衝撃で全身が固まり、手が震えた。隼士の目は涼を捉え、その顔には微笑が浮かんでいた。
「ど、どういう事だい!?最後に交換なんかしなかったら、天城君は勝っていたのに!」
その問いに対して、涼は軽く肩をすくめた。
「そうだね。でも隼士に勝ってほしかったから。」
その言葉に隼士は混乱と驚きが交じり合い、唇をかすかに開いた。
「そんな…僕に勝ってほしいって…。それに!」
彼の視線はカードへと戻った。
「ロイヤルフラッシュなんて早々揃えられる役じゃない!あ、天城君は…どんなトリックを施したの?」
隼士は立ち上がりかけるほどの衝動に駆られた。
「トリック?そんなの仕掛けてないよ。ただ、隼士がシャッフルしたカードを受け取って、手札を2枚交換しただけ。」
「え?」
隼士は信じられない思いで涼を見つめた。
「そんな事より…」
涼は立ち上がり、隼士を真っ直ぐに見つめた。その目にはいつもの茶目っ気のある笑顔ではなく、どこか真剣な光が宿っていた。
「隼士が勝ったんだから、何でもお願いを叶えてあげるよ」
その言葉に隼士の心は驚きで揺れた。場の空気が一瞬固まる。
「お願いって…そんな子供じゃあるまいし……」
隼士は照れ隠しに顔をそむけたが、心の中では鼓動が早鐘のように響いていた。彼の胸に押し寄せる高揚と不安が交錯し、言葉を選ぶのに困惑していた。
「そう?じゃあリバースポーカーは終わり!帰ろっと!」
涼は肩をすくめてトランプを片付け始めた。その軽やかな動きに隼士は焦りを感じ、反射的に声を上げた。
「ああ分かったよ!ちょっと待ってよ天城君!」
自分の中に溜まっていたもどかしさが堰を切ったように溢れ出し、勢い余って強めに言葉を放った。
その後の一瞬が永遠に感じられる沈黙。隼士は唇を噛みしめ、自分の声が震えていないか心配になった。だが、その不安を打ち消すように、自分の本心をついに解き放った。
「僕は、天城君と付き合いたい!」
声が震えたが、それはもうどうでもよかった。言葉を発した直後、隼士の頬は火がついたように赤く染まり、涼の顔を見る勇気がなくて、ぎゅっと目を閉じた。
「どんな表情をしているんだろう…?もしかして、嫌われちゃったかな…?僕が天城君の事を好きだなんて……」
不安と後悔が一気に押し寄せた。言わなければよかった、と心の中で何度も繰り返す。その瞬間、名前を呼ぶ涼の声が耳に届いた。
「隼士」
その声はどこか落ち着いていて、普段のふざけた調子は微塵もなかった。恐る恐る目を開けると、涼が一歩近づき、優しく隼士の両手を包み込んでいた。
「君がそんな風に思ってくれてたなんてね!」
涼の顔は喜びに満ち、目がきらきらと輝いていた。
「勿論、付き合うよ!…んで、何に?」
その問いかけに、隼士は一瞬言葉を失った後、少し震えた声で応えた。
「何にって…じ、人生?」
涼は目を丸くし、そして爆笑した。
「人生!良いじゃん!」
その反応に、隼士は安堵の息を吐き、胸の中の重石が溶けていくのを感じた。しかしその瞬間、階段の下から異質な気配が近づいてきた。
「あれ〜?そんなところで何をしているのかな〜?」
冷たく響く声とともに、白い犬獣人を鎖で引いた人物が二人に近づいてきた。その犬獣人は無言のまま、鎖に従って大人しく歩いていた。
僕らの理想郷