7日間の隔絶実験
- Amagirasu
- 2024年10月31日
- 読了時間: 6分

近年、日本国内でモラルの低下が目に見えて進んでいた。
電車内で我が物顔で大声で騒ぎ合う女子高生たち。他人の目も気にせず、脱衣所で平然とスマートフォンをいじるサラリーマン。上司の目がなければ虚偽の報告を平気で重ねる労働者。飲食店で店員に威圧的な態度をとる客…。挙げればきりがないほどに、そんな人々が身の回りに溢れていた。
社会全体に漂う閉塞感が日々強まっていく中、政府はついに一つの「実験」を打ち出した。
「新たな政策として、7日間の隔絶実験を開始する。」
ニュースを通じて発表されたその言葉が、国中に静かな衝撃を与えた。
「7日間の隔絶実験」とは、日本政府が新たに導入した、モラルの欠如に対する独自の施策である。
政府に所属する監視者たちは特殊なコンタクトレンズを装着しており、視界に入る人物の頭上にフルネームが表示される仕組みが施されている。そのため、公共の場での些細な行動ですら、彼らの目には見逃すことができない。監視者は日常の中で活動し、マナーやモラルに欠けると判断した人物を「隔絶実験者リスト」に記載していく。
リストは日本国内の住民だけに限らず、日本に滞在中の外国人であっても対象とされる。1週間に一度、リストに記載された中からランダムに7名が選ばれ、隔絶実験の候補者となる。
選ばれた7名には、制限付きで1つだけ私物を持参することが許されるものの、送り込まれる先は日本本土から約1200km離れた絶海の孤島である。7日間の孤独と過酷な環境で自らの行動を振り返らせる――それが「7日間の隔絶実験」の真の目的であった。
この政策は、瞬く間に国中で議論の的となった。
「7日間の隔絶実験」が発表されるや否や、賛否両論が巻き起こり、テレビや新聞、SNSまでもがこの話題で持ちきりとなった。賛成派は「社会規律の改善につながる」と称賛し、公共の場でのマナーが再び見直されることを期待する声が聞こえた。一方、反対派は「個人の自由を侵害している」「密告制度などの監視社会は行き過ぎだ」と強く非難し、この政策の存在そのものが不安感を煽るとして抗議の声を上げた。
そして何より人々の関心を引いたのは、「自分は大丈夫だろうか」という不安である。次は誰が島送りとなるのか、政府の監視者の視線を意識しながら人々は日常の振る舞いを意識せざるを得なくなっていった――――
目を覚ますと、そこには果てしなく広がる青い海が見えていた。男の名は外山和樹。眩しい陽光が降り注ぎ、5月とは思えないほどの暑さが肌にじりじりと迫ってくる。
「…本当に、あんな馬鹿げた政策が実在したんだ。」
呆然と海を眺めながら、和樹は小声でつぶやいた。政府の「7日間の隔絶実験」に選ばれてしまった以上、彼はこの島で1週間を生き抜かなければならない。
横たわっていた身体をゆっくりと起こし、ふと目の前に置かれたリュックサックに気づく。中には、3日分の食料と水が入っていた。無情にも支給はそれだけで、残りの4日分は自力でどうにかしろ、ということなのだろう。
「7日間生きなきゃいけないのに、3日分しか入ってないんだ。」
和樹は頭の中がぼんやりとしたまま、その現実の重さに気づけないでいた。
そんな彼の隣に、静かに女性が歩み寄ってきた。
「あの~、すみません。政府の政策で…ここに連れてこられた方ですか?」
「え?」
和樹は驚いて振り返った。そこには、日焼け知らずのような白い肌の女性が立っていた。彼に向かって安心したように微笑んでいる。
「ああ、はい。そうなんです」
「良かった!同じ境遇の人と会えて…」
彼女は少しほっとした様子で和樹の隣に腰を下ろした。どこか穏やかで上品な雰囲気の漂う女性だ。和樹は、こんな雰囲気の人がどうしてここに…と疑問が湧くが、まずは自己紹介しようと声をかけた。
「あの、お名前は?俺、外山和樹って言います」
「あ、私、白石涼花です」
と、丁寧に名乗る彼女に、和樹は軽く会釈をした。
「それで、白石さんは何があってここに…?」
和樹は上手く言葉が見つからずに言葉を濁したが、涼花はフフッと笑って答えた。
「実は…私は小学校の教師なんですが、先日、ある保護者の方と面談をしたときに、『あなた、教師としてモラルがなっていないわ!政府のあのわけわかんない政策に報告させてもらうわ!』と言われてしまって。それで、こうして抽選で選ばれてしまったんです」
涼花は苦笑いを浮かべながら話した。その言葉に和樹は驚き、思わず目を見開く。
「それって…理不尽すぎませんか?面談をしていただけで、モラルに欠けるなんて…」
「ええ、ただ、その保護者の方には私の態度が気に入らなかったみたいで。『モラルがなってない』って密告されてしまったんです」
「…理不尽だ」
和樹の胸には、涼花の話がまるで自分のことのように響いた。
「理不尽、確かにそうですね。でも…もうここに来てしまったからには、どうにか乗り越えるしかないみたいです」
涼花の瞳には、不安と少しの諦めが入り交じっていた。それを見た和樹も、彼女と同じようにこの実験の現実を受け入れるしかないのだと感じ始めた。
「あの、私たちの他にもあと5人いると思うのですが、ご存じありませんか?」
涼花が不安そうに訊ねた。彼女はこの政策について一応把握しているようだったが、和樹は人数までは知らなかった。
「5人…いや、知らないです。でも、そんなに人数がいるんですね」
と、和樹は涼花に聞き返す。
涼花は頷きながら、丁寧に政策のことを語り始めた。
「はい、1回の実験で7人が選ばれるとニュースで言っていました。食料と水が配給されるのは知っていましたが、それでも3日分じゃ1週間なんて無理じゃないですかね?」
「7人か…。確かにそうだな。3日分なんて、とてもじゃないけど1週間は厳しいな。この暑さじゃ、日向にいるだけでも体力が消耗するし」
と、和樹は同意した。
「でも、皆で協力すれば、何とかなるんじゃないかと思います」
と涼花は続けた。
「協力…か…」
その言葉に、和樹は少し昔のことを思い出した。協力しようと言っても、誰も彼を助けてくれなかった昔の記憶がフラッシュバックする。しかし、涼花の前では、彼は前向きな返答をすることにした。
「俺と白石さんで、まずは協力しましょう」
和樹は立ち上がり、周囲を見渡した。幸い、近くには古びた小さな建物が見えた。まるでかつて人々が住んでいたような形跡があるその場所に、二人は希望を見いだした。
「行ってみましょう」
と涼花が提案し、二人はその小さな建物の中に入ることにした。扉は重く、ギシギシと音を立てながら開いた。内部は薄暗く、湿気を帯びた空気が漂っていたが、一応雨風は凌げそうだ。涼花は一歩踏み出し、和樹も続く。
「ここには、何か役立つものがあるかもしれませんね」
と涼花が言い、周囲を見回す。建物の壁には古びた家具や道具が散乱しており、長い間使われていなかったことが分かる。
和樹は、目の前に広がる光景を見渡しながら、少しずつ心が落ち着いていくのを感じた。涼花と協力してこの状況を乗り越えるために、彼は何をするべきか考え始めた。