3人が音楽室を目指して歩みを進めるうち、廊下の空気は次第に重く、湿ったような異様な気配を帯び始めた。優斗は後ろからひたすら前だけを見つめ、必死に足を運んでいたが、ふと背後から微かに低い笑い声のようなものが聞こえた気がして、思わず立ち止まった。
「…今、誰か笑いましたか…?」
優斗が小声で尋ねると、翔も立ち止まり周囲を見回した。だが、暗闇の中に人影もなく、静寂が廊下に戻っただけだった。
「気のせいだ。行こう。」
翔が静かに答えたが、その声もどこか心配そうだった。3人は再び歩き出したが、その瞬間、廊下に冷たい風が通り抜けていく。
「なんだ、この…嫌な感じは…」
翔が不審そうに呟く。3人の鼓動がますます高鳴る。突然、音もなく背後で何かが動く気配がして、冷や汗が奏の背中を伝った。
「誰かが…いる?」
奏が緊張した声でそう呟いた瞬間、廊下の奥から白い影がゆらりと浮かび上がってきた。ぼんやりとした人影が、何かを抱きしめるような動作をしながら、こちらに向かってゆっくりと近づいてくる。
「嘘だろ…?」
翔が驚愕の表情で立ち尽くし、優斗も動けないまま後退りしてしまう。影の輪郭が徐々にはっきりしてきたかと思うと、その“何か”は無数の手を伸ばしながら苦しげな表情で3人に向かってくる。
「…逃げるわよ!」
奏が叫び、3人は反射的に踵を返し、一目散に音楽室の方向へ駆け出した。
だが走っても走っても、背後からまとわりつくように冷気が追いかけてくる。足音の合間に、微かに囁くような声が聞こえた。
「か…え…せ…」
その声は途切れ途切れに、苦しげに、確かに3人の背中を追いかけてきている。
「くそ…振り切れない!」
翔が振り向きざまに叫ぶが、そこには何もない。しかし背筋に寒気が這い上がり、まるで背後に目に見えない冷たい手が伸びているかのような感覚が消えない。
「もうすぐ…もうすぐ音楽室だ!」
奏が先頭を走りながら懐中電灯で前方を照らし、薄暗がりの中に音楽室の扉が見えてきた。
3人は扉の前にたどり着くと、一瞬の猶予もなく音楽室に飛び込み、扉を勢いよく閉めた。暗闇の中、耳を澄ましていると、廊下の向こう側で低く、不気味な囁きが遠ざかっていくのがわかった。静寂が戻った音楽室の中で、3人は荒い息を整えながら顔を見合わせる。
音楽室に足を踏み入れた瞬間、重い空気に包まれた部屋の中で、突然ピアノが「ポーン…」と一音鳴り響いた。3人は驚きに息を呑み、音の出どころを確認するように視線を向けたが、ピアノの前には誰もいない。かすかな余韻が音楽室の静けさに染み渡り、不気味な空気が漂う。
「…今の、誰も触ってないよな?」
優斗が震える声で呟く。
「もちろん…誰も触っていないわ」
奏が低い声で答えると、ふと窓際の椅子に視線をやった。まるで誰かがそこに座っているかのような気配を感じる。
「…この音楽室には、昔から奇妙な噂があったのよ」
奏が言葉を続け、2人は不安げに耳を傾けた。
「夜になると、誰もいないはずの音楽室でピアノが勝手に鳴り出すって話。ある生徒が夜の自習で学校に残っていたとき、この音を聞いたらしいの」
翔は奏の話を聞きながら、不気味さを隠すように腕を組んだ。
「で、その生徒はどうなったんだ?」
奏は少し目を伏せた後、話を続けた。
「…彼は誰もいないはずの音楽室に好奇心で足を踏み入れたの。最初は一音ずつ、まるで彼を呼び寄せるようにピアノが鳴っていたそうよ。だけど、部屋の中に入ってしばらくすると、ピアノの蓋が一人でに開き、鍵盤が独りでに動き始めて――」
優斗が息を飲んで、震えながら尋ねた。
「そ、その後、その生徒はどうなったんですか?」
「行方不明になったわ。夜の音楽室に入った生徒が姿を消したのは、それが最後。誰も、その生徒の姿を見た者はいないと言われているの…」
奏は静かに言い終わると、優斗と翔の顔に怖さがじわりと浮かぶ。
「それでね…その都市伝説には続きがあるの。噂では、そのピアノはある人物の“最後の言葉”を宿しているって言われているわ。」
奏の言葉に、二人は思わず周囲を警戒するように目を走らせた。
「冗談だよな…?」
翔がぎこちなく笑ってみせるが、奏の表情は冗談ではないことを物語っている。
そのとき、再びピアノが「ポーン…」と一音鳴り、今度はより強い音で部屋中に響き渡った。その音に、3人の背中を冷たい汗が流れた。奏は、ピアノの前に一歩踏み出し、そっと鍵盤の蓋を見つめた。何度も聞こえてくる一音の響きが頭から離れない。心の奥で感じる恐怖を振り払うように、彼女は勇気を振り絞ってピアノの蓋を持ち上げた。
「もしかして、この音…からくりがあるのかもしれないわ。調べてみましょう。」
翔と優斗も奏の言葉に興味を示し、二人でピアノの周囲を調べ始める。奏はピアノの内部を注意深く観察すると、鍵盤の下部に仕掛けられた小さな機械装置を見つけた。その装置が、一定の間隔で鍵盤を軽く押す仕組みになっていたようだ。からくりの謎が解けた瞬間、ピアノの一音が鳴り響いていたのは、単なる機械的な仕掛けによるものだと確信した。
「やっぱり、こういうことだったのね…」
奏は安堵の表情を浮かべ、二人に説明した。
「つまり、このピアノは誰かが仕掛けを施しておいたってことか? 行方不明になった生徒が消えたなんて話も、ただの噂ってことだな」
翔が納得した様子で頷く。
優斗もホッとしたように肩の力を抜き、
「なんだ、そうだったんですね! 思ったより単純でしたね」
と笑みを浮かべた。
だが、奏はまだ気になることがあった。彼女はもう一度ピアノの中を覗き込む。ふと、鍵盤の奥に見える何かが視界に入った。
「…これは…!」
奏が震える手でピアノの蓋の中から引き出したのは、動物の下半身のようなものだった。狐の毛がまだ薄らと残っている、異様な光景に、3人は言葉を失った。
「まさか…こっくりさんの体がこんなところに隠されていたなんて…」
ピアノの一音に仕掛けがあったことはわかったが、それがなぜ狐の死骸を隠すために使われていたのか、謎はさらに深まる。行方不明の生徒の噂は虚構だったが、ピアノの中に残された狐の下半身が、物語の裏に潜む真実を静かに示しているようだった。
「…この狐の死骸も持ち帰るわ。これで、体の半分が揃った」
奏は慎重にそれをポリ袋に包み、バッグの中にしまい込んだ。
翔が低く声を落として言う。
「おそらく、これも50年前に狐を殺した神藤というやつが関わっているんだろうな…」
奏は頷き、
「この狐の体を集めることで、何かが解き明かされるかもしれないわ」
と答え、3人は次の図書室へ向かう準備を始めた。3人は、音楽室を出て廊下に出た。冷たい空気が身体を包み込み、薄暗い廊下がさらに不気味に感じられる。翔が手に持った地図を広げ、
「図書室は1階だ。確か、この階段を下りれば…」
と確認する。廊下を歩くたびに足音が微かに反響し、冷え切った空気がひたひたと体に染み込んでくる。優斗が小さな声で
「さっきからやたら寒いですね…」
と呟いた。
奏が
「古い校舎だからね。…でも、なんだかそれ以上に嫌な感じがするわ」
とつぶやく。するとその瞬間、後ろの方から何かを引きずるような音が聞こえた。
3人は思わず振り返るが、廊下には誰もいない。ただ、音だけが低く響いている。
「なんだ…?」
翔が声を低くして言う。
すると、引きずる音が一瞬止まり、今度は懐中電灯がパチパチと明滅し始めた。光が点滅するたびに、廊下が不気味に影を変え、そこに何かいるような錯覚を引き起こす。優斗が思わず息を呑む。
「先輩、これ…どうするんですか?」
「図書室まで行くわよ」
と奏が言うが、その声には少し緊張が滲んでいた。
その時、再び音が聞こえた。それは何かが床を這うような音で、背筋が凍るような冷たさを感じさせる。振り返ると、遠くの暗がりから白く細い影が、ゆっくりと3人に向かって這い寄ってきているように見える。
「…あれは…なんだ?」
翔が顔を引きつらせながら尋ねた。
優斗が怯えながら後ずさりをする。
「先輩、早く…図書室まで行きましょう!」
奏も同意して、小声で
「走りましょう…」
と言うと、3人はその白い影から目を逸らさないようにしながら、急ぎ足で階段へと向かった。背後から這い寄る音が徐々に速まるように聞こえ、その不気味さに追い立てられるように、3人は階段を駆け下りた。
1階に到着すると、ようやく音が止まり、3人はホッと息をついたが、背中には冷や汗が滲んでいた。図書室の前まで来た3人は、ようやく安堵のため息を漏らすが、その不安は完全には消え去っていなかった。
「…あの白い影、いったい何だったんだろう…」
優斗が呟く。
「今は考えても仕方ないわ。とにかく、図書室で手がかりを探しましょう」
奏がそう言うと、3人は静かに図書室の扉の鍵を開け、中に足を踏み入れた。
白狐のこっくりさん