次の日の朝、学校に到着した奏は、視聴覚準備室の一角に静かに座っていた。部室の空気はまだ冷たく、10月の朝の冷気が室内を包んでいる。しかも天気は生憎の雨だった。奏は昨日の優斗の話が頭から離れず、今後の予定を整理しようと一人思案にふけっていた。
やがて扉が軋む音がして、翔が入ってきた。軽く伸びをしながら、いつも通りの顔で奏を見た。
「おはよう。」
と奏が挨拶をすると、翔は少し驚いた表情を見せた。
「なんだ、今日は早いな。俺が一番乗りかと思ってたんだが。」
彼は冗談めかして言った。
「昨日の話が気になって…」
奏は窓の外を見つめながら答えた。
「一年の御影さんにどうやって切り出すか、まだ迷ってるのよ。」
「そんなことか。」
翔は笑って言った。
「簡単だろ?『初めまして、オカルト研究部部長の森下です。あなた、行方不明事件のキーパーソンだと聞いてますが、昼休みに少しお話伺えますか?』ってさ。」
「……まあ、そう言われればそうなんだけど。」
奏は肩をすくめた。
翔は少し首を傾げ、
「…まだ心配してるのか?」
と、彼女の表情を伺った。
「うん、うまく話してもらえるかな…こう見えても私、結構心配性なのよ。」
奏は大きなため息をついた。
「お前らしくないな。」
翔は苦笑しながら、部屋を見回した。
「それより、この部屋もそろそろ片付けないとな。いつの間にかガラクタが増えてるし。」
「確かに…色々といらないものが増えてきたわね。」
奏も部屋のあちこちに溜まったものに目をやった。
「それに空気も重くなってるしな。」
翔は窓際に向かい、重いカーテンを一気に引いた。冷たい風が部屋に吹き込み、室内の空気を一気に入れ替えた。
「朝からこんな冷え込むとは、10月とは思えないな。」
爽やかな風が二人の間を通り抜け、奏の緊張も少し和らいだかのようだった。
視聴覚準備室の片づけが終わると、奏は手を止め、翔に目を向けた。
「動きますか」
と、奏が言う。
翔は振り返り、
「俺も行こうか?」
と聞くが、奏は首を振った。
「いいえ、一人で大丈夫よ。御影さんには私が直接話した方がいいと思うの」
「そうか、まあ気をつけてな」
と、翔は軽く肩をすくめた。
暫く二人の間に沈黙が流れ、時計の針が静かに進んでいく。視聴覚準備室の静寂を破ったのは、控えめなノックの音だった。奏は一瞬驚きながらも、すぐに顔を上げた。
「こんな時間に誰かしら?…どうぞ。」
奏が声をかけると、扉がゆっくりと開かれた。立っていたのは、まさにこれから会いに行こうとしていた御影亜里沙だった。彼女は少しやつれた顔つきで、目の下にはくっきりとしたクマがあり、疲れ切った様子が見て取れた。
「突然すみません……。私、1年の御影亜里沙と言います…」
亜里沙の小さな声には、事件がもたらした重圧が色濃く表れていた。その姿を見ただけで、奏はすぐに彼女が御影亜里沙だと悟った。
「こんな朝早くからどうしたのかしら?」
「実は……オカルト研究部の皆さんなら、もしかしたら信じてもらえると思って…相談に来ました……」
亜里沙の声にはどこか不安が漂っていたが、それでも決意の片鱗を感じさせる。奏は優しく微笑みながら、亜里沙に座るように促した。
「そうなの?じゃあ、とりあえずここに座って。」
奏は視聴覚準備室に置かれた少し古びたソファーへと彼女を案内する。亜里沙がどこか躊躇しながらも腰を下ろすと、奏は彼女をじっと見つめた。
「あなた、大丈夫?顔色がとても悪いわ。何かあったの?」
「はい……彼女たちが行方不明になってから、眠れなくて……」
亜里沙の声は震えていた。彼女の疲れきった表情は、事件が彼女に与えた精神的負担を物語っている。奏はふと考え、何か慰めになるものはないかと思案した。
「そう……大変だったのね。でも少しリラックスして。そうだわ、以前、魔術の儀式で使った紅茶があるの。これを飲むと落ち着くわよ。」
紅茶の話を口にした瞬間、翔がさっと立ち上がった。
「俺が淹れてこよう。」
「気が利くわね。お願いするわ。」
翔は準備室の奥にある小さなキッチンスペースに向かい、湯を沸かし始めた。室内にほのかに香る紅茶の香りが、緊張感を和らげるように広がっていく。やがて、温かい湯気を立てるティーカップを亜里沙の前に置き、翔が一言つけ加えた。
「これを飲む良い。体が温まる。」
「ありがとうございます……」
亜里沙は両手でカップを包み込み、そっと口に運ぶ。ほんのり甘く、ほのかにスパイシーな香りが彼女を包み込み、冷えた体にじんわりと温かさが広がっていくのを感じた。心なしか、表情が少し柔らかくなったように見える。
「少しは落ち着いたかしら?」
「はい……ありがとうございます。とても美味しいです。」
「それなら良かったわ。さて、本題だけれど、相談ってどんなことかしら?」
奏はできるだけ優しい口調で尋ねたが、その質問が亜里沙にとって容易でないことは感じ取っていた。亜里沙は一瞬、口を開きかけたが、その時、学校内にホームルーム開始10分前のチャイムが鳴り響いた。
「……タイミングが悪かったわね……放課後、時間は空いているかしら?」
奏は、軽くため息をつきながら、次の提案をする。
「その時にゆっくり話してくれてもいいわ。」
「はい……すみません、ありがとうございます……紅茶も美味しかったです。」
「体調は大丈夫か?」
翔が尋ねると、亜里沙はうつむきながら答えた。
「いえ……事件の後から体調が悪くて、今日も保健室に行くつもりです……」
「そう、無理しないでね。もし放課後が難しいなら、また後日でも構わないわ。」
「……本当にありがとうございます。」
「じゃあ、そろそろホームルームが始まっちゃうから、お開きにしましょうか。」
奏は微笑みながら、ドアの方へ歩き始めた。亜里沙は立ち上がり、二人に深く頭を下げてから、少しふらつきながら教室を後にした。
「……あの子、本当に大丈夫かしら?」
奏が心配そうに呟くと、翔は腕を組みながら少し考え込んだ。
「元気がないだけならいいんだがな……」
「どういう意味?」
「オレの直感だ。気にするな。」
「そう……でも、わざわざ相談に来るなんて、少し意外だったわ。」
「確かに、直接来るとはな。お前がどう話を切り出すか考えてたのがバカらしいくらいだ。」
二人は軽く笑いあい、微妙に張り詰めた空気が少し緩んだ。
「じゃあ、また放課後に会いましょう。」
「ああ。」
二人はそれぞれの教室に向かうべく、分かれて歩き出した____
学校のチャイムが校舎に響き渡ると、授業は終わりを告げ、あっという間に放課後を迎えた。朝から降り続けていた雨はさらに激しさを増し、窓ガラスに雨粒が叩きつける音が耳に響く。灰色の空は薄暗く、学校全体にどこか沈んだ雰囲気が漂っていた。
奏はオカルト研究部の部室の鍵を回し、静かに扉を開ける。部室の中に一歩足を踏み入れると、薄暗い空気と共に独特な静けさが広がっていた。カーテン越しの弱々しい光が部屋を照らし、外の荒れた天気とは対照的に、部室は落ち着いた空間だった。
奏は、窓の外をぼんやりと眺める。雨の音が絶え間なく響き、学校のグラウンドはすっかり水浸しだ。やや重たい空気を感じながらも、彼女の心の中には不思議な静けさがあった。
その静けさを破るかのように、控えめなノック音が部室に響いた。
「どうぞ。」
奏は静かに声をかけると、扉がゆっくりと開かれ、そこに立っていたのは御影亜里沙だった。奏は亜里沙に目を向け、彼女が扉の前で戸惑っているのに気づいた。
「座って。」
軽く手で示しながら、奏は部室の独特なソファーを勧めた。亜里沙は少し躊躇したものの、静かに歩み寄り、指定された席に腰を下ろした。亜里沙の姿は朝に見た時と変わらず、やつれていた。顔色はまだ青白く、表情には不安と疲れが色濃く表れている。
奏は亜里沙の表情を読み取り、静かに問いかける。
「体調はどう?少しは休めたかしら?」
亜里沙は小さく首を横に振ると、震える声で答えた。
「いえ…頭の中で…いろいろなことがぐるぐるしていて……。」
雨音が再び窓を叩く音が響き、二人の間に短い沈黙が流れる。
部室の窓際に立っていた奏は、雨音を聞きながらふと思い出したように口を開いた。
「そうだわ。紅茶、また飲むかしら?」
紅茶の温かさが少しでも亜里沙を落ち着かせることを願い、朝の紅茶を思い返す。亜里沙は少し驚いた表情を見せたが、控えめに答えた。
「朝飲んだのに…申し訳ないです…。」
奏は微笑みを浮かべながら優しく首を振った。
「遠慮しなくていいのよ。まだたくさん余っているし、温かい飲み物は気分も落ち着くから。」
亜里沙は少し戸惑いながらも、うなずいて応じた。
「じゃ、じゃあ…お言葉に甘えて…いただきます。」
奏は静かに立ち上がり、ティーカップを3つ取り出す。窓の外では雨が強く降り続けており、その音が部室内に響いていた。お湯をポットに注ぎ、紅茶パックをカップに入れると、再び亜里沙の前にそっとティーカップを置いた。
「どうぞ、温かいうちに。」
亜里沙は感謝の表情を浮かべ、ゆっくりとティーカップに手を伸ばした。微かに立ち昇る紅茶の香りが、部屋の空気を和らげた。奏は亜里沙とは反対側のソファーに座り、紅茶を楽しむ間もなく、部室の扉が突然開いた。
扉の向こうに立っていたのは、翔だった。
「悪いな、遅れた。」
彼は奏の隣に近づきながら、亜里沙に視線を送った。
「ちょうどいいわ。紅茶を淹れたところだから、あなたもどう?」
翔はティーカップに目を向け、返事をした。
翔「ありがたいな。」
彼は奏の隣に座り、奏が用意したティーカップを手に取ると、ゆっくりと一口飲んだ。部室内には、穏やかな雰囲気が広がっていたが、亜里沙はまだ少し緊張している様子だった。
「さて…御影さん、早速本題で申し訳ないけれど、話してくれるかしら?」
温かい紅茶と共に、これからの話がようやく始まる気配が漂っていた。
亜里沙は紅茶のカップを手に取り、一口飲んで少し落ち着いたように見えた。しかし、その目にはまだ不安が宿っている。彼女は深呼吸をし、まるで心の中で覚悟を決めたかのように、ゆっくりと話し始めた。
白狐のこっくりさん