[#10] 白狐のこっくりさん
- Amagirasu
- 2024年11月11日
- 読了時間: 8分
更新日:2024年11月14日

神道昭雄… 『おとなしく、真面目。成績も優秀。誰に対しても優しく、接しやすい』と評されていた彼は、教師からの信頼も厚く、同級生からも好意を持たれていた。放課後も真っ直ぐ家に帰り、休日は図書館で本を読むことが多い、ごく普通の生徒として学校生活を送っていた。
しかし、彼はもう一つの隠れた一面を持っていた。
放課後、昭雄は何気なく校舎(今の旧校舎)裏へ足を踏み入れた。今でこそ荒れ果て、誰も近寄らない場所だが、50年前の風景は異なっていた。周囲にはまだ開発の手が届かず、深い森が広がっていた。木々の間から差し込む光が、古びた校舎の背後で静かに揺れている。
そのとき、ふと目に飛び込んできたのは、一匹の白い狐だった。狐は学校の敷地内に迷い込んでいるようだった。その姿はまるで幻想的で、まぶしいほどに白く、優雅に歩いていた。
「綺麗…」
昭雄はその美しい姿に見とれ、思わず呟いた。彼は手をひらひらと振ってみた。すると、狐は少し躊躇しながらも、足を進めて昭雄の方へと歩み寄った。どうやら人慣れしているらしい。
狐が昭雄のすぐ前に来ると、昭雄はその白い毛並みを手で撫でた。狐の体はふさふさと柔らかく、触れるたびに温かさが伝わってきた。その感触は不思議で、まるで狐が生き物以上の存在であるかのように神秘的だった。
昭雄はそのまま狐を抱き上げ、視聴覚室へと歩みを進めた。建物の中はひんやりとして、湿気が漂っていた。彼はその冷たさに気を取られることなく、狐を抱いたまま教室に入り、中央付近の机にそっと下ろした。
「ちょっと、大人しく待っててね」
狐は不安げに周囲を見渡したが、特に動じることなく静かに座っていた。昭雄はその姿を一瞥すると、部屋を出ていった。狐はその間、机の周りをウロウロと歩き回り、時折床の隅に顔を寄せてはじっと静止していた。
しばらくして、昭雄が戻ってきた。彼の手には鋭い刃物、斧が握られていた。冷たい金属の光が薄暗い部屋で鈍く輝く。その姿に不安が走るが、昭雄は狐の方へゆっくりと近づいていった。斧を持っていない反対の手で、再び狐の頭を優しく撫でた。
「凄く可愛いね。君さ…」
その声に、どこか狂気じみた響きが含まれていた。昭雄はそのまま斧を振り上げると、無情にも鋭い刃を狐の首へと振り下ろした。刃が皮膚を切り裂き、血が噴き出すと、部屋の中は赤黒く染まり始めた。
狐は鳴き声を上げる間もなく、その命を絶たれた。昭雄は狂気の笑みを浮かべながら、次々と狐の体を無慈悲に引き裂いていった。その姿はまるで獣のように、興奮と快感に満ちていた。
血が床に広がり、視聴覚室の空気は重く、冷たいものへと変わっていった。昭雄はその異常な行為に酔いしれるように、狐をバラバラにしていった。
狐をバラバラにした後、しばらくの間、昭雄は呆然とその場に立ち尽くしていた。目の前に広がるのは、血と肉で散乱した無惨な光景。しかし、彼の表情はどこか空虚で、精神的には何も感じていないかのようだった。
「…あ~あ。綺麗だったのに、汚くなっちゃった。」
昭雄はぽつりと呟くと、制服の袖を気にしながら自分の体を見下ろした。血まみれの制服に視線を落としても、彼の表情は無感情だった。狐のことなど気にする様子もなく、斧を手から離して床に無造作に投げ捨てた。まるでその場にある物すべてが、彼にとっては何の意味も持たないかのようだった。
「すっきりした~!…家帰ろっと!」
そう言って昭雄は、あの美しい狐の亡骸を振り返ることなく、視聴覚室の扉に向かって歩き始めた。足音が部屋に響き、床の血痕がさらに鮮明に映し出される。その歩みは軽やかで、どこか無邪気にさえ感じられた。
扉の前に立つと、昭雄はドアノブを握り、ぐっと回した。しかし、ドアはピクリとも動かなかった。
「あれ?おかしいな。」
もう一度、何度も繰り返しドアノブを回すが、扉は頑として開こうとしなかった。昭雄の眉間にしわが寄り、だんだんと焦りの色が浮かんできた。
「なんでだよ…」
彼は試しにドアを押してみたり、もう一度ノブを回してみたりと、必死に試行錯誤を繰り返す。しかし、扉は一向に開かない。そのとき、ふと背後に、不気味で悍ましい気配を感じた。背中を突き刺すような圧力が、彼を包み込む。
昭雄は一瞬、凍りついたように動きを止めた。心臓が高鳴り、背筋が寒くなる。まるで何かが、彼を見ているような錯覚に陥った。
そして、その瞬間、振り返った昭雄の目に映ったのは、この世の力とは思えないような異次元の存在だった。
目を開ける暇もなく、昭雄はその力によって体を引き裂かれていった。斧で切り裂いたように、肉が引き裂かれ、骨が軋む音が響く。だが、それは彼が目で見ることなく、ただその感触だけが身体中に伝わった。
視聴覚室は、血で染まったまま、外から差し込む赤い夕日の光に照らされていた。窓の外の景色は、まるで時間が止まったように静寂に包まれており、黄昏時の異様な美しさが、逆にその恐怖を引き立てていた。
視聴覚室の異様な雰囲気がふと薄らぎ、3人は互いに顔を見合わせた。辺りには微かな静寂が訪れ、彼らの鼓動だけが耳に響いていた。
「今のは…?」
翔が声を震わせながら口を開いた。視界の端に、まだ薄れかけた幻影が残っているような気がした。
奏はゆっくりと息を整えながら、視線を遠くへと移した。
「おそらくだけど、体を揃えたことによる狐なりの恩返しかと。」
その言葉には哀愁と理解の色が宿っていた。50年前の出来事、無残に散った白い狐の記憶が、まるで流れる水のように心に重く沈んでいた。
優斗はしばらく黙っていたが、やがて重く口を開いた。
「…真相を見せることで、少しでも知ってほしかったんだね。」
その一言が、視聴覚室にこだました。その場に立ち尽くす3人の頭の中には、つい先ほど見せられた白い狐の過去が鮮明に蘇る。優斗はふと窓の外に目をやった。そこに広がっていたのは、先ほどの重苦しい闇ではなく、旧校舎の窓越しに広がる夜景だった。淡い街灯りが闇を照らし、現実の温もりを思い出させた。
「先輩、窓の外を見てください!…きっと元の世界に戻ってこれたのかもしれません!」
優斗の声に、奏と翔も視線を向けた。夜空には星が瞬き、校舎の外には風に揺れる木々の音が聞こえた。
「その様ね。」
奏は小さく笑みを浮かべた。
「ふぅ…戻ってこれたのか。危ない都市伝説だったな。」
翔は肩の力を抜いて安堵の息をついた。
「戻ってこれたのは良いけど……。」
奏はふと視界を巡らせ、亜里沙の友達二人がまだ見当たらないことに気がついた。しかし、その心配はすぐに杞憂であることが分かった。
「うぅ……」
微かな声が、3人の耳に届いた。声の方へ視線を向けると、行方不明だった佳奈と詩音が廊下の片隅に倒れていた。驚きと喜びが一斉に走り、3人は二人の元へ駆け寄った。
「この二人…墨田と神田だ!」
優斗が声を上げる。
「戻ってこられた…?一体どういうことなのかしら?」
奏は困惑を隠せなかったが、翔が肩越しに微笑みを浮かべて答えた。
「おそらくだが、あの狐の謎を解いたことで解放されたんだろう。」
「…そう、それは良かったわ。」
そのとき、詩音がうっすらと目を開けた。
「ここは……?」
ゆっくりと体を起こし、周囲を見渡す詩音に、奏が優しく声をかけた。
「もう大丈夫よ。」
「あなたは…?」
詩音はまだ混乱していた。
「あら、私はオカルト研究部の……」
「自己紹介はいい。それよりも、ここから出るのが先決だろう。狐の謎を解いたとはいえ、夜の旧校舎自体、あまり長居しない方が良いだろう。」
翔は警戒を緩めない。
「そうね。」
奏は腕時計を見た。時間はこっくりさんを始めたときからわずか5分しか経過していなかったことに驚いた。
「佳奈、しっかり!」
詩音が未だ気を失っている佳奈を揺さぶった。
「う~ん……。」
佳奈はまだ意識がぼんやりとしていたが、徐々に目を開けた。詩音が支えながら立ち上がらせる。視聴覚室を出て旧校舎入口へ辿り着いた5人。薄暗い廊下にはわずかな月明かりが差し込み、彼らの足音が静かに響いた。
「開くのか?」
翔が一歩下がって扉を見つめた。冷たい夜風がわずかに隙間から吹き込む。
奏は胸の鼓動を感じながら恐る恐る扉に手をかけ、軽く押してみる。すると扉は、古びた蝶番が抗議するように鈍い音を立てながら、ゆっくりと開いた。外の夜風が一斉に流れ込み、疲れた身体に冷たい感触をもたらした。
わずか5分しか経っていないとはいえ、長い恐怖の中で走り回った彼らにとって外の空気は格別に新鮮だった。5人は旧校舎を出て、夜風に当たりながら大きく息を吸い込んだ。月明かりに照らされた校庭が広がり、揺れる木々の影が穏やかな風景を描いていた。
「助けていただいてありがとうございます。」
詩音は顔に汗を浮かべたまま、深々と3人に礼を言った。声はまだ震えていたが、安堵の色が濃かった。
「…大したことはしていないわ。二人が無事でよかったわ。」
奏は少しほっとした表情で答え、肩から力が抜けるのを感じた。
そのとき、遠くから大人の男性の声が響いてきた。
「おーいお前ら!そんなところで何してるんだ!」
声には疑念と驚きが混じっていた。
闇の中から現れたのは、残業でまだ校内にいた教師だった。ライトを片手に持ち、目を細めて彼らを見つめていた。近づいてきた彼の顔が、月光でわずかに照らされた。
「お前ら…って墨田と神田か!?行方不明だったのに…。」
教師の目が大きく見開かれ、驚愕が顔中に広がった。
驚きを隠せない教師は、すぐに声を張り上げた。
「5人とも、職員室に来なさい。」
言葉には厳しさと安堵が混ざっていた。
5人は互いに視線を交わし、黙って頷くと、旧校舎の入口を後にして新校舎の職員室へと向かった。歩を進めるたび、外の風が彼らの緊張を解きほぐしていくようだった。
白狐のこっくりさん