白狐の怨霊
オカルト研究部部長、森下奏は薄暗い視聴覚準備室の片隅に立ち、机の上に並べられた幾つかの古びた小道具に視線を落としていた。蝋燭の灯りが彼女の顔に影を落とし、かすかな煙が天井に漂う。隣では副部長の椎葉翔が奏とその小道具たちを見守っていた。部屋全体が異様な空気に包まれ、重い沈黙が広がる。
「…本当にこれで良いのか?」
翔が呟くように問いかけた。
奏は、表情を変えずに静かに頷く。
「大丈夫よ、これはただの前段階。焦ることはないわ。」
部室で行う儀式は、オカルト研究部にとっての遊び心でもあり、本気の実験でもあった。何度か試して失敗してきたものの、今日こそは何かが起こると期待していた。
奏は深く息を吸い、蝋燭の炎がかすかに揺れるのを見つめていた。隣の翔も静かに目を閉じる。部屋は不自然なほど静まり返り、外からのわずかな風の音すら遠くに聞こえるほどだ。
「…そろそろね。」
小声で奏が呟く。
しかし、その瞬間も、何も起こらない。
視聴覚準備室の隅に置かれた儀式の小道具たちは無機質に沈黙し、蝋燭の炎は静かに揺れるだけだった。どこかで時計の針が小さく「カチ、カチ」と音を立てているが、それさえも不気味なほど規則的だ。
「…おかしいわね。」
奏は微かに眉をひそめながら、呟いた。
「確かに手順は間違っていなかったはずだけど…」
翔は無表情で彼女の方を見た。
「だから言っただろ。何も起こるはずがない。」
「でも…」
奏は反論しようとしたが、言葉を飲み込む。彼女も分かっていたのだ、何度も試しては失敗し続けてきた。今日だって、その結果が同じだということを。
やがて、視聴覚準備室は再び沈黙に包まれる。部屋の薄暗さがさらに深まり、まるで二人を閉じ込めるような重苦しい静けさが広がる。蝋燭の炎だけが変わらず揺れ続けている。
「今日はここまでにしよう。」
翔が溜息をつき、立ち上がる。
「もう時間だし、部屋も片付けないとね。」
奏も仕方なく立ち上がり、蝋燭を吹き消した。辺りが一層暗くなり、二人の顔もぼんやりとした影だけになる。
「また明日やればいいさ。」
翔が投げやりに言うと、奏は小さく頷いて微笑んだが、その目にはどこか焦りが浮かんでいた。
「そうね、また明日。」
奏は微笑みながら小さく呟いたが、心の奥にはどこか釈然としないものが残っていた。
翔が窓際へと歩き、ゆっくりとカーテンを開ける。すると、視聴覚準備室に夕暮れの柔らかい光が差し込み、室内をオレンジ色に染め上げた。淡い光が壁や床を照らし、さっきまでの儀式の暗く重い雰囲気が一気に消え去っていく。
儀式は確かに終わり、何も起こらなかった――そう実感させるには十分すぎるほど、夕焼けの光は優しく、穏やかに室内を包んでいた。黙々と儀式の道具を片付け始める。蝋燭を消し、雑誌を重ね、すべて元の場所に戻していくうちに、先ほどの儀式の痕跡は一切なくなった。
片付けを終え、2人がようやく一息ついたその時だった。視聴覚準備室の扉から、コンコン、と軽いノック音が響いた。
「どうぞ。」
部長である奏が答えると、ゆっくりと扉が開き、1人の生徒が顔を覗かせた。細身の眼鏡をかけた木更津優斗が、軽く会釈をしながら入ってくる。普段はおとなしい彼だったが、その顔には少し緊張感が漂っていた。
「遅くなってごめんなさい。聞き込み調査で忙しくて……!」
優斗は息をつきながら椅子に腰掛ける。
「別に気にしないで。もう儀式は終わったしね。」
奏は微笑みながら言ったが、どこか心配そうな優斗を見て、何か話したいことがあるのだろうと察した。
「あの奏さん…ちょっと気になることがあって…最近、学校で行方不明になった生徒のこと、聞いていますよね?」
「ええ、もちろん。」
奏は興味を示すように椅子を回し、彼の方を見つめた。
2日前、この学校で1年生の生徒2人が忽然と姿を消した事件が発生した。行方不明になったのは神田詩音と墨田佳奈の2人で、彼らは友人関係にあり、放課後に一緒に行動していた。最後に目撃されたのは学校内で、夕方17:00頃、もう一人の生徒、御影亜里沙と3人で旧校舎に向かって歩いていたという目撃情報がある。しかし、行方不明になったのは詩音と佳奈の2人だけで、亜里沙は無事であった。亜里沙は事件後、動揺しており、詳しい話を誰にもしていない。彼女は事件について語ることを避けている様子がある。
「実は、行方不明になった生徒たちは、旧校舎で姿を消したらしいんです。」
優斗の声はいつになく真剣だ。
「旧校舎…?」
翔が眉をひそめて口を挟む。
「その話、誰から聞いたの…?」
奏が視線を優斗に向ける。優斗の顔には少しの緊張が見えたが、それでも真剣な様子で言葉を返す。
「行方不明になった生徒の友達、御影亜里沙です。」
その名前を聞いた瞬間、部屋の空気が変わったような気がした。優斗はちらりと奏と翔の顔を伺う。
「行方不明になった生徒の友達……」
奏の声には疑念が混ざっている。翔は腕を組んで、何かを考え込むように眉を寄せる。
「……」
沈黙が流れる中、優斗の心臓の鼓動が自分の耳にまで響く。重たい空気に耐えきれず、優斗は慌てて続けた。
「実際に聞いてみたんです。そしたらそう言っていました!」
優斗の声は熱を帯びていたが、奏と翔の反応は鈍い。二人は顔を見合わせ、静かに考え込むようにしていた。
暫くの沈黙が続いた。優斗は焦燥感に駆られ、体が少し前のめりになる。
「本当です!信じてください!」
思わず声を上げた優斗に、ようやく翔が目を向ける。彼は静かに息を吸い込み、慎重に口を開いた。
「それで?その話が本当だったとして、俺たちに何の関係があるんだ?」
鋭い問いかけに優斗は一瞬戸惑ったが、すぐに答えた。
「御影さんが言うには、こっくりさんが関係しているんじゃないかって。」
部屋の空気がさらに重くなる。こっくりさんの名前が出た途端、部屋の隅でカーテンがかすかに揺れた気がした。
「こっくりさん?」
奏が眉を寄せ、驚いたように聞き返す。
「はい。…詳しい話は明日、御影さんに聞いてみませんか?」
優斗の声は熱意を込めていたが、部屋の中はまたしても静寂に包まれる。静かな風が外で鳴り、薄暗くなった視聴覚準備室の中に重い空気が漂っていた。
暫くして、
「…じゃあ、その話が本当かどうか…その、御影さん?に聞いてみますか。」
半分呆れたような声色で、奏は優斗に向かって言った。部屋の奥に積まれた古い資料が微かに埃を舞わせ、夕暮れのオレンジ色の光が薄暗い部屋をぼんやりと照らしていた。
「ええ、それが良いと思います!」
優斗は急に元気を取り戻したかのように、嬉しそうな表情で頷いた。
「その代わり!」
奏が椅子に座り直し、優斗に向かって指を指す。
「その話がデマだったら、あなた報道倶楽部クビよ?」
「え、奏さんになんの権限があるんですか!」
驚いた優斗が口を開くと、奏は冷静に腕を組みながら返す。
「私はオカルト研究部の部長よ。報道倶楽部部長に直訴すればいいだけの事じゃない。」
その一言に、優斗は大げさに肩を落としながら抗議する。
「そんな~!」
彼の声が視聴覚準備室の天井にまで響いたが、静かな部屋の中ではそれもすぐに吸い込まれるように消えていく。
「あなたは今までにもたくさんのオカルトの情報をくれた。そこは感謝してるわ。」
奏は表情を崩さないまま、冷静に言葉を続けた。彼女の声は鋭いが、どこか優しさも含まれている。
「…けれど今まで一つもヒットしたことないのよ。」
視聴覚準備室の隅に積み上げられたオカルト雑誌や書物たちが、まるでそれを証明するかのように佇んでいた。
「確かにそうだな。」
今度は翔が、からかうように優斗を見ながら口を開く。彼は椅子に体を預け、腕を組んでリラックスしていたが、その瞳は優斗に注がれていた。
「先ほどの儀式も不発で終わった。アレも確か…情報はお前だったよな?」
「ちょ、翔さんまで何を言い出すんですか…」
優斗は焦ったように言い返し、頬をかすかに赤らめる。しかし、二人の先輩から向けられる視線には逃げ場がない。
「とにかく!」
奏は再び優斗に向き直り、強めの口調で念を押す。
「その話は本当に信じていいのね?」
優斗は一瞬言葉に詰まり、目を泳がせながら答えた。
「そう言われると…あんまり自信ないかもです…」
「はぁ…」
奏は深くため息をつき、肩を落とす。外では風が静かに吹き、窓の外に見える木々が揺れている。
「まぁ、ここであなたを責め立てていても何も始まらないわ。事実がどうであれ、明日聞いてみるわよ?…あなたもそれでいいかしら。」
奏は翔の方を見やり、確認を取る。
翔は少し考え込むように眉を寄せたが、やがて小さく頷く。
「まぁ…お前がそういうならありなんじゃないか?」
優斗は少しホッとしたように安堵の息を吐くが、まだ不安そうな表情を浮かべたまま二人を見つめていた。
白狐のこっくりさん